第14回 看護師の仕事の原点

第14回 看護師の仕事の原点

菅原 由美
全国訪問ボラインティアナースの会 キャンナス代表

看護師の仕事の原点

黒岩:先月は被災地での菅原さんや神奈川県の職員の体験から、行政が被災地でどうあるべきか、考えさせられました。同時に、初期の段階で避難所のルールもない状況で、ルールづくりをしてきた職員の話を聞いて、彼等は公務員の仕事の原点に触れてきたのだと思いました。そして、菅原さんのリアリティのあるお話を伺って、保健師や看護師の被災地での活動もまさに看護の原点に触れたのではないかと思いました。クリミア戦争のときにナイチンゲールがした仕事は看護の原点でしょう。看護師は普通は病院の中で先輩から受け継いできた仕事を看護だと認識しているのでしょうが、被災地のような現場で、これまで病院の中で先輩から学んできたものとは違う現実を見たら、対応できないことがあったかもしれません。しかし、菅原さんたちは訪問看護をやってこられたことが活きていたから対応ができたわけですね。

菅原:キャンナスはお節介なおばさんたちの集合なので、何か探しに街に入ってしまうんですよ(笑)。そこで問題点を見つけてきてしまいます。その中の一つに幼稚園や保育園の問題がありました。公立の幼稚園や保育園には助成があったのに、私立にはなかったのです。知事がクリミア戦争のお話をされましたが、川嶋みどり先生が私どもの活動を「クリミア戦争のときのナイチンゲールのようだ」と言ってくださったのは本当に嬉しかったですね。私どもは住民の皆さんと同じところに寝泊まりさせていただきました。でも、医師会の先生方は仙台のホテルに泊まっていて、そこから通っていらしていたのです。

黒岩:そうなると、住民の皆さんと24時間、一緒にいるということはできないですね。

菅原:私どもは24時間体制ですが、医師会の先生方は朝10時から夕方の4時か5時までにならざるをえないですね。それでも、お叱りを受けたこともあります。私どもは5日分の食料を持ち込んでいましたが、住民の皆さんと仲良くなると、自衛隊の方から炊き出しをいただくことがあり、「ボランティアのくせに食べるのか」と言われました。また、昼間、頑張っている若いお母さんたちは夜になると声を上げて泣いてしまうこともあります。緊張感が切れてしまうんですね。そこで、私どものスタッフは一晩中、話を聞いていました。夜でないと分からない状況もあるんです。それで昼間に仮眠をとっていたりすると、「ボランティアが昼間に寝ていた」とネットに書かれたこともありました。今は笑い話ですが、言われたスタッフは心がずたずたになったのですよ。

黒岩:そんなことがあったのですか。ひどい話ですね。

菅原:そこで、私どもでは自衛隊からの炊き出しはいただかないように、必ず持っていった食料を食べるようにという指示を出しました。そして、医師会の先生方に私どものスタッフのモチベーションを下げるようなことは止めてほしいと要望したんです。ところが、先生方は2泊3日で帰るのだから耐えてくれと言われましたよ。医師対象の講演でも言っていることですが、偉い方から被災地に来るという順番は変えてほしいですね。偉い先生は病院で患者さんを持っているわけではないし、身軽に来やすいのかもしれないけど、現場では使い物になりません(笑)。救護班でどんと構えていらっしゃる先生ではなく、部屋を回っていた先生であっても、小児や目が充血していらした方のことを尋ねたときに、「小児のことは分かりません」とか、「僕は眼科医でないので分かりません」という答えが返ってきたのです。専門性の高い医師は被災地では役に立ちません。その点、在宅医師は実に見事でした。

在宅医療の原点

黒岩:在宅医師はどのように活躍していましたか。

菅原:これから被災地に行くのは在宅医師だけにしてほしいと思っているぐらい、素晴らしかったです。ある医師は「小児は得意ではありませんが」と前置きしてから丁寧に診察を始められたので、お母さんが安心されたということがありました。また、薬剤師と連携があり、「お子さんの体重は何キロ」と聞きながら、素早く処方箋を切られたりして、社会資源を使う能力が高いですね。本当に有り難かったです。ホテルもとらず、1日、2日、寝ないで働ける体力もお持ちですしね。今後は研修医を積極的に被災地に出し、病院での研修医の仕事を上の先生方が肩代わりされればいいのではないでしょうか。

黒岩:お話を伺うと、今の医療制度の歪みや問題点が見えてきます。医師が専門性を高めるのは悪いことではありませんが、その専門性は様々な専門家が集まっている病院の中でこそ活かされるものです。それを被災地のような現場に出たときにも「自分は○○の専門家ですので」と自然に言ってしまうというのはおかしいです。

菅原:どんな偉い方なのかも知らず、医師だと思って声をかけた私も悪かったのかもしれません。でも、在宅医療を分かっている医師がご家庭に残っている方を回ると、素人のボランティアには心を開かなかった方がお話をするようになるということもありました。医師も看護師も白衣を着ていないにも関わらず、皆さんの心を開かせる何かがあるんでしょうね。

黒岩:菅原さんたちは何を着ていらしたのですか。

菅原:私どもは阪神大震災のときから被災地ではずっと予防衣です。でも、阪神大震災のときは白衣を着ていた方が避難所に入れてくれたのではないか、女医と名乗ってしまった方がいいのではないかと思うこともありました。

黒岩:人々の中の「お医者さん信仰」はとても大きいものがあるのですね。

菅原:その信仰に応えていたのは在宅医療の医師でしたね。今回も在宅医療の医師たちは東北弁が半分ほどしか理解できない状況なのに、地域にうまく入って、湿布を差し上げたりと大活躍でしたよ。「具合、悪いの」と尋ねるのではなく、「何を食べてるの」、「水は飲んでる」、「おしっこは出てる」、「この家のトイレはどこ」など、質問も上手なんです。置いてくるのは湿布薬程度なのですが、その家庭の生活を把握する力はすごいですね。在宅医療を行うことは家庭の生活をみることなのだと、在宅医療の原点にも触れた気がしました。

菅原 由美 プロフィール

 1955年に神奈川県に生まれる。1975年から20年間、日本赤十字救急法の指導員として救急員の養成に携わる。1976年に東海大学医療技術短期大学第一看護学科を卒業後、東海大学病院ICUに1年間の勤務後、結婚と介護のために退職する。介護のかたわら、企業の診療所や保健所などに勤める。1995年に阪神大震災にアジア医師連絡会(AMDA)のメンバーとしてボランティア活動に参加し、クロアチアやサラエボでも活動を行う。1997年に訪問ボランティアナースの会であるキャンナスを設立する。1998年に有限会社ナースケアーの役員に就任する。1998年に神奈川県の委嘱を受け、3人の知的障害児の里親となる。2004年に『日経ウーマン』のリーダー部門の「ウーマン・オブ・ザ・イヤー2005」を受賞する。東海大学医療技術短期大学非常勤講師に就任する。2009年にナースオブザイヤー賞、インディペンデント賞を受賞する。キャンナスを鳩山総理が視察する。2011年に東日本大震災の被災地で災害ボランティアナースとして活動を行う。
開業看護師を育てる会理事長、日本臨床医療福祉学会評議員、藤沢市介護保険事業所連絡会代表幹事、管理者部会長、日本神経疾患医療福祉従事者学会評議委員、NPO法人全国在宅医療推進協会理事、藤沢市高齢者虐待防止ネットワーク副代表、日本在宅医療学会評議員、さわやか福祉財団インストラクターなど。