第16回 いのちを輝かせるために大事なこと

第16回 いのちを輝かせるために大事なこと

川嶋 みどり
日本赤十字看護大学 名誉教授

いのちを輝かせるために大事なこと

黒岩:お久しぶりです。お元気ですか。

川嶋:はい。休みなしで働いていますよ。今日は著書の『看護の力』を知事にお持ちしました。

黒岩:ありがとうございます。この本は何冊目のご著書ですか。

川嶋:何冊目でしょうか。なにしろ150冊を超えていますから。

黒岩:150冊とはすごいです。

川嶋:知事もお元気そうですね。

黒岩:おかげさまで元気いっぱいですよ。看護師の問題にしても、取材を始めてから20年以上が経っていますが、今まで取り組んできたことが活かせる立場ですので、手応えがあります。

川嶋:『看護の力』にも知事が取り組んでこられた准看護師問題を少しですが、書いておきました。知事に最初にお会いしたのも准看護師問題の取材でしたね。

黒岩:16年前に既に准看養成では高度化する医療のニーズには応えられないということで、厚生省の検討会で「21世紀初頭を目途に看護婦養成は統合に努める」と提言されました。准看養成停止は決着したはずなのにずっと置き去りにされてきたんですからね。県知事になって改めてこの問題に取り組むようになり、展開していくうえで辛かったのは一般の方々が准看護師問題について分からなくなっていたことでした。我々がテレビでキャンペーンを行っていた頃は准看護師問題についての認知が進んできたという実感がありましたが、行政の動きが止まってしまったことによって新聞やテレビでも取り扱われなくなり、一般の方々の関心がなくなったんですね。そういう面を背景に、医師会が大きな抵抗を示し、県議会での工作もありました。県議会の理解を得られるまでが大変でしたね。しかし、看護協会が動き始めてからは一気に流れが変わりました。

川嶋:医師会は「地域医療がこれから在宅にシフトされる中で、地域医療の担い手が准看護師になるのだ」と言うので、私はそうではないと反論しました。地域医療こそ、きちんと教育を受けた看護師がすべきなんです。医師会は独自で看護学校や看護大学を作ればいいと思いますよ。

黒岩:私は分かりやすく、「これは看護界の長年の悲願なんだ」と言い続け、理解を得る努力をしました。長年の悲願だと言うと、理解していただけることが多いです。神奈川県では准看養成問題は看護師への教育に切り替えるという点で落ち着きましたが、ここから見える問題はまさに「いのちを輝かせる」ために何が大事なのかということです。私はいつも神奈川県の人口動態のグラフの話をするのですが、1970年代に見事なピラミッドを描いていたグラフが今は逆の形になろうとしているプロセスにあります。特に神奈川県は急速な高齢化が進んでいますが、そういう状況の中で病気の高齢者や、介護される人が増えてくれば、どれだけ医療体制が整備されても間に合いません。そこで、病気を予防するという観点が必要なのです。

川嶋:おっしゃる通りですね。

黒岩:そうすると、地域を「面」で支えなくてはいけません。では、その仕事は誰の仕事なのかということです。医師も確かに重要な存在ですが、医師だけでは間に合いません。医師の領域や目線だけでなく、看護師の領域や目線がますます重要になるでしょう。そのためには看護教育そのものを見直さなくてはいけない。そういう流れで議論を展開してきました。

川嶋:知事が今年の年頭の所感で「健康長寿」という言葉を使っていらっしゃいましたように、今は子育てが終わってから倍の長さを生きていく時代です。昔とは生き方を変えなくてはいけないんですね。私は高齢者イコール要介護者ではないと言っています。どうしたら健康で長生きできるのかを皆で考えていきたいですね。

「ハウス・てあーて」

黒岩:川嶋先生は被災地でもご活躍ですね。

川嶋:2011年4月から被災地に行き、ケアの拠点を作ろうとしています。知事がおっしゃった地域を「面」で支えることを被災地で一貫して行っているんです。そして、その拠点が中核になって、コミュニティに発展させていきたいんですね。仮設住宅では個人情報の問題があって、表札が出ていないんです。委託された管理会社以外はお隣りに誰が住んでいるかも分からないんですよ。

黒岩:そうなんですね。川嶋先生のグループはどういうメンバーで構成されているんですか。

川嶋:リタイアナースのグループです。神奈川県在住の人が一番協力してくれていますよ。現役の看護師を引き抜いたら現場が困りますし、中長期的なケアをしたいので、「体力、気力、知力のあるリタイアナース集まれ」を謳い文句に誘っています。がんセンターの部長経験者や看護学校の校長経験者も来ていますよ。これからのケアで東日本を変えていきたいと思っています。
 被災地の方たちも最初は10何人しか集まらなかったのですが、この頃は既に集まっていて、待っていてくださるんです。「あなたたちが来てくれて嬉しいわ」と言ってくださいますよ。日頃は電話で「おばあちゃん、元気」とか、「赤ちゃんはどう」と尋ねたりしています。そういう繋がりを作るモデルでありたいですね。

黒岩:コミュニティモデルですね。

川嶋:私たちの目標は町内会単位の小さなコミュニティで、災害に強い、隣人に優しい、温かい街づくりです。干渉しない、けれども関心を持つということが東京では難しいですが、被災地ではモデルができやすいはずです。問題はお金がどこからも出ないことなんです。だから、知事にお話ししたいことが山程あるんですよ(笑)。

黒岩:「ハウス・てあーて」がその拠点ですか。「てあーて」というネーミングがいいですね。

川嶋:この頃、看護師が手を使わなくなったでしょう。そこで「手を使いましょう」ということで10年位前に考えた言葉が「てあーて」なんです。ただ、日本語で「手当」と言いますと、児童手当や子ども手当、残業手当などのお金を連想させますから、「てあーて」としました。ARTと掛けて「TE-ARTE」と書きますが、日本語の「てあーて」として、世界中に広めたいと思ってきました。そうしたら、震災が起きてしまって、ケアハウスの名前を「ハウス・てあーて」にしていいかと聞かれましたので、「どうぞどうぞ」と申し上げたんです。

黒岩:川嶋先生は被災地でもご活躍ですね。

川嶋:2011年4月から被災地に行き、ケアの拠点を作ろうとしています。知事がおっしゃった地域を「面」で支えることを被災地で一貫して行っているんです。そして、その拠点が中核になって、コミュニティに発展させていきたいんですね。仮設住宅では個人情報の問題があって、表札が出ていないんです。委託された管理会社以外はお隣りに誰が住んでいるかも分からないんですよ。

黒岩:そうなんですね。川嶋先生のグループはどういうメンバーで構成されているんですか。

川嶋 みどり プロフィール

 1931年に京城(現ソウル)に生まれる。1951年に日本赤十字女子専門学校(現 日本赤十字看護大学)を卒業し、日本赤十字社中央病院(現 日本赤十字社医療センター)に勤務する。1952年から1955年まで日赤女専、日赤女子短期大学に派遣される。日本赤十字社中央病院小児病棟勤務を経て、日本赤十字女子専門学校専任教員、日本赤十字女子短期大学助手、日本赤十字社中央病院耳鼻科外来係長を経て、1971年に退職する。1971年から東京看護学セミナー代表世話人として、看護基礎教育、卒後研修、教員養成講座などの講師をしながら執筆、講演活動を行う。1974年から1976年まで中野総合病院で看護婦教育顧問に就任する。1982年に健和会臨床看護学研究所所長に就任する。2003年から2011年まで日本赤十字看護大学教授(看護管理学、老年看護学)、2006年から2010年まで看護学部長を務める。2011年に日本赤十字看護大学客員教授に就任を経て、現在は日本赤十字看護大学名誉教授を務める。「東日本これからのケア」プロジェクト代表を兼任する。
 1995年に第15回日本看護科学学会会長を務める。1995年に第4回若月賞を受賞する。2007年に第41回フローレンス・ナイチンゲール記章を受賞する。
 著書に『チーム医療と看護―専門性と主体性への問い』『看護を語ることの意味―“ナラティブ”に生きて』(看護の科学社)、『キラリ看護』(医学書院)、『看護の危機と未来―今、考えなければならない大切なこと』(ライフサポート社)ほか多数。