第18回 地産地消の学校給食を推進

第18回 地産地消の学校給食を推進

川嶋 みどり
日本赤十字看護大学 名誉教授

地産地消の学校給食を推進

川嶋:知事は年頭の所感の中で地場産物を活用した学校給食を推進するとおっしゃっていましたが、病院食も改善していただきたいです。先日、料理研究家の辰巳芳子先生からお電話をいただきまして、「今年88歳だから、最後の仕事として病院食を改善する仕事をしたい」と言われました。辰巳先生は玄米スープなどの多くのレパートリーをお持ちで、そういった「いのちのスープ」の講習会を開かれ、口から食べることはいのちの営みであると伝えていらっしゃいます。美味しく、栄養のある食材を使って、しかも吸収が良いのがスープなんですね。辰巳先生から「入院された患者さんやご家族は病院食に不満を感じているけど、医師や看護師、栄養士は関心がないので、講習会をしても広まらない。どうしたらいいか」と尋ねられました。それで、知事に提案していただきたいと思ったのです。

黒岩:それはいいですね。

川嶋:40年前に、子どもの患者さんがあまりにも流動食を飲まないので、流動食についての研究をしたことがあります。800人の子どもを調べたら、ほとんどが飲まずに、摂取量ゼロばかりなんです。そこで、流動食は子どもには馴染まないので、もっと馴染みのあるものにすべきだと提案しました。私自身も数年前に入院したのですが、その頃の流動食と全く変わっていませんでしたし、スープは塩水のようでした。主婦をしていますから、どのスープの出汁もチキンからか野菜からかは分かるのですが、病院のスープは分からないのですよ(笑)。栄養士さんはカロリーや塩分など、栄養学の知識を持っていらっしゃるのは分かりますが、看護と同じで、人間的なセンスの問題だと思います。

黒岩:私は「医食農同源」という言い方をしています。「医食同源」に「農」を加えたものなんですが、地元で収穫されたものを食べて、健康になっていこうというキャンペーンを全県的に広めています。去年の11月、横須賀で行われました「対話の広場」で、辰巳先生から「給食をもっと変えていかないと駄目じゃないですか」と言われました。それを受けて、昨年12月、地産地消の学校給食を検討する検討会というものをスタートさせました。地産地消の学校給食のあり方、つまり、「食」というものがいかに大事であるかということを、学校の給食レベルから教えていくことを実践したいと考えています。栄養教諭が全部の学校に対して、食育を指導する体制を整えましたし、栄養教諭だけを集めた検討会も作りました。そういう形で地産地消の学校給食を目指していく、給食革命のようなものを起こしていくつもりです。病院食に関してはこれからですね。

川嶋:病院食は量は少しでいいんですよ。その代わり、質ですね。デパートの地下では何でも美味しいものを売っている時代ですし、犬飼智子さんがスイスの病院食のすごさについて書いていらっしゃいましたが、日本の病院食は貧困のままです。栄養士さんに話を伺うと、予算がないと言うんですね。

黒岩:お金がないというのは大抵の場合、言い訳ですね。神奈川県立保健福祉大学にも管理栄養士のコースがあり、私もたまに講義に行っていますが、栄養というと、どうしても栄養学という学問に入ってしまいがちです。タンパク質やビタミンがあればいいという問題ではありません。私はいつも「食のあり方」ですとか、「食」という言い方をします。食というときに最も単純に感じるのは美味しいか、美味しくないかということで、次に栄養があるのか、ないのかということです。しかし、栄養学からアプローチする人は美味しいことは二の次で、どれだけの栄養があるのかということに関心が向いているようですが、これは人間の生理からすれば違う価値観なんですね。

看護とはその人の「治る力」を引き出すこと

川嶋:知事のお父様が漢方のお食事をなさったとおっしゃっていたでしょう。辰巳先生も「食はいのちの営み」とおっしゃっていて、知事のように「いのち」を平仮名で書かれるんです。そういう意味でも、知事のお考えとフィットするのかなと思います。

黒岩:辰巳先生から「じゃこ」をいただいたこともありますよ。

川嶋:おやつに「じゃこ」はいいですよ。「じゃこ」はカルシウム豊富ですから、お昼過ぎに会議をするときなどにお出しすると、いらいらしなくなるんです(笑)。子どもにもお菓子より「じゃこ」ですよ。

黒岩:食のあり方を大事にしないと、患者さんにすぐに胃ろうという発想になります。胃ろうで栄養を送り込むと、いのちを長らえさせるかもしれませんが、それが果たしていいことなのかという疑問があります。

川嶋:胃ろうは虐待の一種だと思います。病院から胃ろうを減らすためには口からの栄養摂取が大切です。口から食べると、元気になるんですよ。喉を通るか、通らないかで、全く変わってくるんです。

黒岩:私の父もそうでしたね。

川嶋:ステーキを召し上がったんですってね。

黒岩:ええ、ステーキを食べましたよ。末期がんで余命2カ月というところから、劉影(りゅういん)先生のご指導を受けたのですが、劉影先生は食べることがいのちの基本だとおっしゃっていました。蒸した長芋を食べていたら、見る見るうちに変わっていきましたね。劉影先生は「寝ていたら駄目です。起こしなさい」、「食卓まで歩くだけでもいいから」とも言われました。そこで、父を起こして、少しずつ歩くことを繰り返していくうちに「気」が出てきたんです。

川嶋:素晴らしいですね。

黒岩:私は県の政策の一つに東西医療の融合も掲げています。漢方の考え方の中に「気・血・水のバランス」がありますが、その中の「気」ですね。「気」は西洋医学では体系ができておらず、「気」でエビデンスを取るのは難しいですが、人間は食べること、歩けることで「気」が出ますし、辛いときに看護師からかけてもらった一言や手を当ててもらった感触から「気」が湧き上がるのではないでしょうか。

川嶋:私は看護はその人が持っている治る力を引き出すことだと思っています。治る力を引き出せるところに、看護師が介在すべきなんです。

黒岩:私は小学校低学年の頃によく勉強していたんですよ。良い成績をとって帰ると、母がとても喜んで、「やった、やったー」と言ってくれるんです。それを見ていると、いいことをした気持ちになるんですね。それで頑張ったところがあります。

川嶋:お母様、素敵ですね。

黒岩:病気でないときに「気」が出るのは「良かったね」、「素晴らしいじゃない」と認めてもらい、評価されるときなのではないかと思います。それは患者さんも同じですね。

川嶋:患者さんを寝かせっぱなしにすると、アミロイドβの凝縮が促進され、認知症になります。起こしただけで顔つきも変わるんですよ。起こすときも背中を立てて、直立に近い姿勢がいいんですね。歩かせるのも大切です。

黒岩:父は最初、きついからと言って、歩きたがらなかったんです。でも母が絶対に駄目だと申しました。

川嶋:お母様は本当に良くなさいましたね。

黒岩:そのうち歩けるようになり、元気を取り戻したのですが、ゴミを出しに行ったときに転んでしまったんですよ。それでまた歩けなくなって、そこから「気」が下がっていきました。父のがんとの戦いは「気」がどれだけ上がるかというのが最大のポイントでしたね。美味しいものを食べ、飲みたいものを飲んでいると、「気」が高まってきて、段々と良くなるんです。ビールまでも飲んでいましたからね。

川嶋:それはすごいですね。私も被災地でなくてもできることとして、「高齢者の元気引き出すステーション」を構想中です。

「いのち全開宣言」

川嶋:私は看護はその人が持っている治る力を引き出すことだと思っています。治る力を引き出せるところに、看護師が介在すべきなんです。

黒岩:私は小学校低学年の頃によく勉強していたんですよ。良い成績をとって帰ると、母がとても喜んで、「やった、やったー」と言ってくれるんです。それを見ていると、いいことをした気持ちになるんですね。それで頑張ったところがあります。

川嶋:お母様、素敵ですね。

黒岩:病気でないときに「気」が出るのは「良かったね」、「素晴らしいじゃない」と認めてもらい、評価されるときなのではないかと思います。それは患者さんも同じですね。

川嶋:患者さんを寝かせっぱなしにすると、アミロイドβの凝縮が促進され、認知症になります。起こしただけで顔つきも変わるんですよ。起こすときも背中を立てて、直立に近い姿勢がいいんですね。歩かせるのも大切です。

黒岩:父は最初、きついからと言って、歩きたがらなかったんです。でも母が絶対に駄目だと申しました。

川嶋:お母様は本当に良くなさいましたね。

黒岩:そのうち歩けるようになり、元気を取り戻したのですが、ゴミを出しに行ったときに転んでしまったんですよ。それでまた歩けなくなって、そこから「気」が下がっていきました。父のがんとの戦いは「気」がどれだけ上がるかというのが最大のポイントでしたね。美味しいものを食べ、飲みたいものを飲んでいると、「気」が高まってきて、段々と良くなるんです。ビールまでも飲んでいましたからね。

川嶋:それはすごいですね。私も被災地でなくてもできることとして、「高齢者の元気引き出すステーション」を構想中です。

黒岩:神奈川県の「医食農同源」でも、「医」は保健福祉局ですが、「食」や「農」は担当が違うんです。私はクロスファンクションで、色々な部局が横断的に行うように言っていますが、予算の問題などでやはりやりにくさはありますね。でも、国の縦割り行政に比べれば、はるかにやりやすいですよ。県には大臣がいませんし、二元代表制ですからね。国には大臣がいて、その下に官僚がいますが、県の組織は直接、職員とやり取りができますし、人事権も知事が把握しています。私がやりたいことがあれば、職員もやり方が分からないうちは戸惑いもありますが、分かればすぐに動いてくれます。遣り甲斐のある仕事ですね。

川嶋:頑張ってくださいね。期待しています。

黒岩:ありがとうございます。川嶋先生もお元気で、頑張ってください。

川嶋 みどり プロフィール

1931年に京城(現ソウル)に生まれる。1951年に日本赤十字女子専門学校(現 日本赤十字看護大学)を卒業し、日本赤十字社中央病院(現 日本赤十字社医療センター)に勤務する。1952年から1955年まで日赤女専、日赤女子短期大学に派遣される。日本赤十字社中央病院小児病棟勤務を経て、日本赤十字女子専門学校専任教員、日本赤十字女子短期大学助手、日本赤十字社中央病院耳鼻科外来係長を経て、1971年に退職する。1971年から東京看護学セミナー代表世話人として、看護基礎教育、卒後研修、教員養成講座などの講師をしながら執筆、講演活動を行う。1974年から1976年まで中野総合病院で看護婦教育顧問に就任する。1982年に健和会臨床看護学研究所所長に就任する。2003年から2011年まで日本赤十字看護大学教授(看護管理学、老年看護学)、2006年から2010年まで看護学部長を務める。2011年に日本赤十字看護大学客員教授に就任を経て、現在は日本赤十字看護大学名誉教授を務める。「東日本これからのケア」プロジェクト代表を兼任する。
 1995年に第15回日本看護科学学会会長を務める。1995年に第4回若月賞を受賞する。2007年に第41回フローレンス・ナイチンゲール記章を受賞する。
 著書に『チーム医療と看護―専門性と主体性への問い』『看護を語ることの意味―“ナラティブ”に生きて』(看護の科学社)、『キラリ看護』(医学書院)、『看護の危機と未来―今、考えなければならない大切なこと』(ライフサポート社)ほか多数。