私達ナースです(看護師の声)

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Vol.8  企業で働く准看護師 伊藤 陽子さん(仮名)

企業で働く准看護師
伊藤陽子さん (仮名)

看護師免許を取得するには様々な方法があるが、「働きながら免許が取れる」のはその大きな特色であろう。今回ご紹介する伊藤さんも、中学卒業後、働きながら看護学校に通い、准看護師の免許を取得したキャリアを持つ。7年間の看護師生活を経て、現在は「病院とは違う世界を体験してみたい」という希望がかない、企業で営業事務を担当している。
伊藤さんに、これまでの経験、思い出、現在の心境などを語ってもらった。

まず、ご出身と看護師を目指した理由などをお話しください。

 出身は愛知県で、生まれたのは1973年です。看護師を目指したのは小学3年生のときです。風邪の菌からなのか今もって原因不明なのですが、紫斑病に罹ってしまったんですよ。地元の病院では対処できずに名古屋市の国立名古屋病院(現 独立行政法人国立病院機構 名古屋医療センター)に入院しました。小児科病棟に1ヶ月以上入院したのですが、子どもですし淋しいんですね。その病院には看護実習生が大勢実習をしていて、その実習生がとてもかわいがってくれました。私のわがままを聞いてくれて、いつも優しかったんですね。今思うと、忙しい実習生に悪いことしたなという感じですけど(笑)。実習生の姿を見て、看護師に憧れました。

高校の看護科に通いながら、病院で働き始めたそうですが・・。

 早く働きたいと思っていたので勤労学生の道を選びました。両親も中学校の先生も「看護師になりたいなら頑張りなさい」と応援してくれました。そこで高校の衛生看護科に進学し、近くにあった外科病院に勤めることになりました。

そちらでは、どういう日常だったのですか?

 過酷でしたね(笑)。まず朝は5時起きです。病院内の寮に住んでいたのですが、4畳の部屋に2人住まいで、冷暖房もありませんでした。そして朝から病院に行き、病棟の担当なら検査の準備、配膳、下膳、清拭、排泄介助などを行いました。外来の担当であれば診察準備、理学療法室の担当であれば器械の準備ですね。救急指定病院でしたので、救急車が来たら、その対応もありました。
 正午になると10分で昼食を取って着替えます。スクールバスが12時30分に迎えにくるんですよ。それから学校に行き、17時30分に病院に戻って夜診のお手伝いです。ナースコールの対応などをして21時まで働きました。寮の門限は20時なのにおかしいですよね(笑)。
 やはり勉強と仕事の両立が辛くて、先輩たちもどんどん辞めていきました。10人いた寮生が1年足らずで3人になったんです。私も辞めようと思ったのですが、病院を辞めるとなると学校も辞めざるをえません。それで、てこずってしまい、結局次の年の入試に間に合いませんでした。

そして外科の有床クリニックに移られていますね。ここではどういう仕事をしたんですか?

 看護学校を受験できるまで1年空いてしまったので、勤労学生ですらなくなってしまったわけです。ですから看護学生になるまでということで院長先生のお宅で家政婦をしました。掃除や食器の後片付けですね。午後からはクリニックで受付や調剤のお手伝いをしました。
 次の年に准看護婦学校に入学しました。その頃は「御礼奉公」のピークの時代で、労働環境は非常に悪かったですね。清潔にしなくてはいけない仕事なのに、入浴は2日に1回だったり・・それで看護学校の教頭先生に相談したのです。そうしたら大変親身になってくださって、その先生が院長をしていらっしゃった産婦人科医院に移ることになりました。

産婦人科医院での思い出をお話し頂けますか?

 19床の有床クリニックでした。仕事の内容は妊婦検診、がん検診などの外来や、分娩やオペの介助といったものです。産婦人科は初めてでしたので、最初は驚くことが多かったですね。でも、最初に立ち会った分娩では感動のあまり泣いてしまいました。生まれたての赤ちゃんってぬるぬるしていますよね。沐浴のときに落としてしまわないようモデルを使って何度も練習しました。
1993年に看護学校を卒業したあと、1996年まで勤務しました。

その後、リハビリテーション病院に転職されていますが、これはどうしてですか?

 夫と結婚の話が出始めていたんですよ。中学を卒業して、ずっと親元を離れていましたから結婚前に親元で過ごしたいなと思い、実家の近所の病院に転職することにしました。3年間勤務したのですが、収入の面でも人間関係でも悩むことなく大変充実した毎日だったと思います。こちらは准看護師も多くて、正看護師との差を感じることもなかったですね。人工骨頭のオペですとか、患者さんが回復していく様子ですとか興味深い経験をさせて頂きました。1999年に結婚して、しばらく家庭と仕事を両立させていたのですが、翌年に切迫流産の危険があり退職しました。お蔭様で子どもは無事出産でき、2年後には2人目にも恵まれました。現在、子ども達は5歳と3歳で、二人とも男の子です。

大阪に移転されたのは、ご主人の転勤だったのですか?

 そうです。夫はサラリーマンで、おととし大阪に転勤しました。私は退職以来、ずっと専業主婦だったのですが、そろそろ働きたいなあと思っていたタイミングでの転勤でした。ただ子どもが小さいですし保育園に入れたとしても病気のときに見てくれる人がいないという問題がありました。それで9時から夕方5時までのクリニックで働きたいと思いましてハローワークへ通いました。

大阪では5時に終わるクリニックはほとんどないのではありませんか?

 やはり都会は午後診が遅く始まり遅く終わりますから、5時に終わるところを探すのは難しいですね。でも訪問看護ステーションからは内定を頂いたんです。ただ大阪の街を歩いていると、OLさんの姿が目に止まるわけです。オフィス街をお財布一つ持って、ランチに出掛ける姿に「こういうのも素敵だな」と思ってしまって(笑)。せっかくの内定だったのですが、お断りしてOLとして就職活動することにしました。

OLに転職されるにあたって、どういう準備をされたのですか?

 まずはパソコンですね。これまでインターネットやメールぐらいしかしていませんでしたので、ワードとエクセルの勉強を自分でしました。最初はなかなか慣れず、入力も遅かったですね。その準備と並行しながら就職活動をして、人材紹介会社にパートとして勤務することになりました。

実際にOLの仕事を始めてみて、いかがでしたか?

 看護師時代に「人に尋ねる前に自分で調べろ!」とよく怒られていたので、その経験は非常に役に立ったと思っています。一番戸惑ったのは電話の対応ですね。病院と違って、どんな方から電話がかかるか分かりません。私の対応一つで、会社の印象が左右されるのかと思うと緊張して、受話器を握る手に汗をかくこともしばしばありました。

ほかに看護師の経験が生かせていることはありますか?

 新人は汚い仕事からやるようにと言われていましたから、出社したら社長はじめ、社員全員のデスクを拭く仕事をずっと続けました。私としては普通の行動だったのですが、他の人からはよく誉めて頂きました。先輩との上下関係を大事にしてきた看護師時代は無駄ではなかったなあと思っています

今後はまた看護師に戻りたいですか?

 下の子が小学生になったら戻りたいですね。でも今は准看護師の求人が少なくなっているんですね。ナースバンクでも正看護師免許を取ることを勧められることが多いですし、また働きながら学校に通って正看護師の免許を取りたいですね。産婦人科も整形外科も楽しかったのですが、准看護師では経験できなかった急性期病院での勤務を経験してみたいです。
 看護師って感謝される仕事なんです。大変なことも多いですけど、赤ちゃんが生まれたり、患者さんが元気になって退院されるときの嬉しさは格別ですから、生まれ変わっても看護師を目指したいですね。

看護師以外の仕事へと転職を考えている看護師にアドバイスをお願いします。

 目標を定めないといけないですね。少しの経験では分からないことも、仕事をしながら分かっていくこともあります。「これ」と決めたら、やり遂げてほしいです。

最後にストレス解消法を教えてください。

 昔から温泉が好きだったのですが、今は子どもが小さいので銭湯に行っています。毎週土曜と日曜は欠かさず行っていますね。あとは会社の同僚と飲み会やカラオケを楽しんでいます。

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