第66回 黒岩裕治の頼むぞ!ナース

黒岩祐治の頼むぞ!ナース

黒岩祐治
ジャーナリスト。国際医療福祉大学大学院教授。早稲田大学大学院公共経営研究科講師。医療福祉総合研究所(スカパー・医療福祉チャンネル774)副社長 <プロフィール>

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▼バックナンバー #1〜#49

 



 

第66回 13歳の遺言-健太郎君が残したもの

 この春、私の知り合いの高校生、美咲ちゃんが看護学生としてナースへの第一歩を踏み出すことになりました。先日、母親のさゆりさんからうれしいメールが届きました。

 「美咲は大学看護学部に合格しました。医師や薬剤師・理学療法士などではなく看護師を選んだ理由は、患者さんのそばで一番支えてあげられるのが看護師だから!だそうです。患者さんにはもちろんですが、自分が兄の時にしてもらったように、患者さんの家族の支えにもなれるような看護師になりたいそうです」

 美咲ちゃんとの出会いは今から9年前のことになります。13歳で亡くなった健太郎君の病気との闘いを綴った「13歳の遺言」という私がプロデュースしたドキュメンタリー番組の取材でした。美咲ちゃんは健太郎君の妹です。重い病いと闘う兄の傍に寄りそう美咲ちゃんの姿は多くの視聴者の涙を誘いました。

 おじいちゃんに向かって「あさって死にたい」と訴える健太郎君。小学生の頃からずっと病いと闘ってきて、もうこれ以上、耐えることはできないと言うのです。そんな重く切ない言葉を発した直後であっても、健太郎君はベッドに潜り込んできた美咲ちゃんには優しい兄としての笑顔を浮かべるのです。

 もしかしたら、美咲ちゃんは健太郎君の思いを受けて、将来ナースになりたいと思うようになるかもしれない…。私とスタッフたちはぼんやりとそう感じていました。10年近くの歳月を経て、まさにそれが現実のものとなったのです。

 「13歳の遺言」は深夜の放送であったにも関わらず、視聴者のみなさんから大きな反響をいただき、その後、2回も再放送しました。それは当時としては異例のことでした。しかし、異例と言えば、この番組が今も新たな物語を生み続けていることでしょう。

 番組というものは通常はその放送をもって完結するものです。ドラマの場合は特にはっきりしています。ストーリーはエンディングで完結し、それで終わりです。ハッピーエンドなら視聴者は「よかった、よかった」と幸せな気分で余韻に浸ることになります。つまり物語自体はそこで終わっているのです。

 事実そのものを追いかけるドキュメンタリー番組はそうではないだろうと思われるかもしれませんが、実は放送の世界で言うと基本的には同じです。放送の時にはひとつのカタチに仕上げなければなりません。編集作業によって、起承転結がつけられ、物語として納得感のある作品に加工されていくのです。

 しかし、実際の人生において、生きている限り、本当は完結することなどということはありません。時間というものはずっとつながっているのですから。さまざまな困難を乗り越え、ゴールにたどり着くまでのプロセスをドキュメンタリーで放送したとしても、放送の後に大どんでん返しが待ち受けているかもしれません。ですから、どこかの時点で区切りをつけて、完結させなければドキュメンタリーと言えども、番組にはならないのです。

 私は「13歳の遺言」もそういうものだと思っていました。放送時点で健太郎君はすでにその3年前に亡くなっていましたから、まさに“完結した作品”だというのが私の認識でした。ところが、それが違ったのです。

 この番組は母親のさゆりさんから私たちに当てて寄せられた1通の手紙がきっかけとなりました。私がプロデュース・キャスターをしていた「感動の看護師最前線シリーズ」で放送した「眠れない3歳児」へのリアクションでした。「眠れない3歳児」とは、眠ると呼吸が止まってしまうという難病、オンディーヌ症候群と闘う一家の1年半に及ぶドキュメンタリーでした。

 当時、健太郎君は大きな手術に踏み切るかどうかの決断を迫られていました。ドクターは手術を積極的には勧めていませんでした。それほど健太郎君の症状は重かったのです。しかし、健太郎君は自ら手術に挑戦する覚悟を決めました。きっかけになったのは、私たちの番組でした。

 「3歳の子が病気と闘っている姿に僕も勇気をもらったよ。だから僕も手術をして闘うから、お母さん、フジテレビに撮影してもらって。僕が闘っている姿を放送してもらうことによって、僕みたいに病気で苦しんでいる子供たちに勇気を与えたいから」

 さゆりさんの手紙を受け取った時、手術日はあと1週間と迫っていました。病院側への正式な取材要請をしている時間的余裕もありません。そこで、ディレクター一人を派遣し、ホームビデオでの撮影で取材を見切り発車させました。手術は成功し、健太郎君は自宅に戻ることもできましたし、家族での温泉旅行にも出かけることができました。取材は順調に始まったかと思った矢先、突然、健太郎君の訃報が飛び込んできました。

 私はその時点で番組化を断念しました。番組にするには取材した映像が足りないからやむをえません。しかし、諦めきれないさゆりさんの「なんとか番組にできないか」という必死の訴えかけに応えるカタチで、3年後、さゆりさんご自身が撮影されたホームビデオを中心に、番組を制作しました。それが「13歳の遺言」だったのです。

 放送に合わせてフジテレビ出版より「13歳の遺言~健ちゃんの2500日に及ぶ戦い」
 その放送をもって私たちは完結しました。しかし、母の思いに終わりはありませんでした。健太郎君のメッセージをもっともっと多くに人に伝えたいと思ったさゆりさんは、いきなり少年刑務所を訪ねました。アポイントも紹介もなしに、やってきたさゆりさんに刑務官も驚いたことでしょう。

 「少年院には人を殺した人もいるでしょう。そんな子供たちに13年しか生きることのできなかった健ちゃんが、いのちをかけて伝えようとしたメッセージを知ってもらいたい。いのちの大切さを感じてくれるにちがいない、そう思って番組のVTRを持って、少年院の門を叩いたんです」さゆりさんは心境を語ってくれました。

 実際に少年院で受刑者たちへの観賞会が開かれました。子供たちはみんな涙を流しながら見たと言います。そして、みんなで書いた感想文がさゆりさんの元に届けられました。そして今度はさゆりさんから直接、話を聴きたいということになり、さゆりさんが受刑者たちを前に講演をすることになったのです。

 実はそれがきっかけとなり、さゆりさんはその後何度も少年院に招かれることになりました。さゆりさんからのメールには以下のように綴られていました。

 「少年院では変わらず3ヶ月に1度、出所間近の少年達と講座をさせていただいています。
 健太郎の思いを伝えながら、母親の思いを話に加え、みんなで命のことはもちろんですが、色々な意見や質問をしながら話し合っています。この講座での約2時間は私も勉強させてもらい、とても充実した時間を過ごさせてもらっています。

 先日は運動会にも招待して頂き、健太郎と初めて養護学校で見た文化祭で感動☆衝撃を受けた時と同じように、すべてのプログラムに真剣に取り組む姿にとても感動し☆何度転んでも立ち上がり、最後まで一生懸命走る姿に衝撃をうけました。一生懸命取り組む姿は輝いていますよね。これからも彼らを応援していきたい!と改めて思いました」

 そして、今度は、妹の美咲ちゃんがナースへの道を歩き始めたと言うのです。物語は完結しないという私の言葉の意味がおわかりになったことでしょう。完結するどころか、また、新たなストーリーが始まったようです。(完)

「黒岩の法則」
著:黒岩裕治





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