第17回 黒岩裕治の頼むぞ!ナース

黒岩祐治の頼むぞ!ナース

黒岩祐治
ジャーナリスト。国際医療福祉大学大学院教授。早稲田大学大学院公共経営研究科講師。医療福祉総合研究所(スカパー・医療福祉チャンネル774)副社長 <プロフィール>

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▼バックナンバー #1〜#49

 



 

第17回 〜ドナーカードを持っていますか?〜

宇和島徳洲会病院の万波医師らが病気で摘出した腎臓を他の患者に移植していたことが明らかになり、大きな反響を呼びました。医療の現場にいらっしゃるみなさんはこの問題をどんな風に受け止めておられるのでしょうか?正式な手続きも踏まず、一部の医師たちの独自の判断で進められてきた移植医療の最前線の現状を知って、私も大きな衝撃を受けました。

 12月10日(日・朝7時半〜)の「報道2000」で万波医師をゲストに招いて、ことの真相を聞きました。死を待つしかない透析患者にとってこれ以外の救う手立てはなかった。たとえ病気の腎臓であろうと、死ぬよりもいいだろう。そもそも病気で摘出した腎臓はそのまま捨てられるもの。有効に活用できたのだからその方がいいだろう。現に手術をした患者も喜んでいる。それが執刀した万波医師の言い分です。

 医学的な知識がなければなかなか判断しえない問題も含んでいるので、私は彼に基本的なことから確認していきました。そもそも病気の腎臓を移植して、その病気がレシピエントに発症しないのかどうかという点です。万波氏は「腎臓ガンの場合、取り出した腎臓からガンの患部を取り除いて移植に使うため問題はない」と主張します。アメリカでも腎臓ガン移植14例についての論文があるが、5年後の生存率は100%だと言います。

 たった14例で医学的に証明されたことになるのかどうかは大いに疑問に残るところです。日本移植学会では「がんと感染症の臓器移植は禁忌であって、ましてガンの臓器を移植することなど想定すらしていない」と言います。しかし、万波氏は移植学会員でないことから、学会の基準に従う義務はないのだそうです。しかも臓器移植法には規定もないことから法律違反でもありません。

 次に、摘出した腎臓が他人の体の中で使えるのなら、摘出される側としてみれば「それなら自分の身体に戻してくれ」と言うのではないかと聞いてみました。万波氏は「もちろん戻せる腎臓は戻す。たとえば腎臓につながる管の部分に欠陥があってそこを切除する場合など、腎臓を体内に置いておいても仕方ない」と言います。また、「ガンは遺伝子の病気であって感染する病気ではないから、本人に戻すと再発する可能性が高いけれど、他人だとその可能性は少ない」と言うのです。

 番組の中で医学的にその正当性を突き詰めるのは限界があります。それは医学会の中の議論を通して、合意を形成していただくしかありません。そのためには万波氏が日本移植学会に入って、その中で今回の病気腎臓移植の経過をすべて発表していただかなければなりません。「学会ではおそらく認められないだろう。そんな無駄なことをするより、人工透析で苦しんでいる目の前の患者さんを救いたい」それが万波氏の本音だとは思いますが、番組中では一応、学会の場で決着させることに同意して下さいました。

 ただ、医学的正当性だけでなくもうひとつ重大な問題があります。それは手続きと倫理の問題です。他人から取り出した病気の腎臓を移植することをキチンとレシピエントに説明していたかどうかという点と、腎臓を摘出された患者に対して、その腎臓を他人の移植に使うことをキチンと説明していたかどうかという点です。万波氏はいずれも説明していたと主張しましたが、その記録はいっさいないとのことでした。

 なんの同意書も作成しておらず、同意したことを証明するサインもありませんから、検証しようもありません。同じ説明をしたと言っても、具体的にどういう状況で、どういう言い方をしたのかによって、結果は全く違ってくるはずでしょう。たとえば、腎臓ガンの腎臓を移植する患者に対して、はっきりとガンという病名まで言ったかどうか、日本の学会では禁忌とされていることを明言したかどうか、疑問の残るところです。

 ただ、レシピエントは「これしか助かる道はない」と言われれば、藁をもすがる思いになるでしょうから、受け入れた可能性は高いでしょう。現に移植を受けた患者の多くはこのニュースが明るみに出た後も、万波氏を全面的に擁護しています。

 問題は臓器提供側への説明です。摘出した腎臓を他人に移植することを万波氏は全員に説明し、同意を得たと言いましたが、ほんとうでしょうか?摘出された患者にとっては自分の病気が治るための手術だということ以外、頭の中には何もないはずです。ましてや摘出した病気の腎臓が他人への移植に使われるなんて、想像すらできないことでしょう。しかも、いったん切り出された腎臓は、もはや自分の目の届くところにあるものではありません。廃棄されることを当然のことと受け入れているはずです。それをわざわざ医師が“余計なこと”を言う必要があるでしょうか?

 万波氏擁護派代表として出演して下さった広島大学名誉教授の難波紘二氏は「摘出に同意さえしていれば提供に改めて同意が必要だと思わない」と明言しています。どうせ捨てられる運命にある臓器なんだから、どう使おうと医師の裁量のうち。しかも他人を苦しみから解放するために使うのにどうして文句を言われる必要があるのか。それが本音ではないでしょうか。万波氏が「全員に説明した」と言うのは、提供した患者の誰も提供された事実すら知らないから確認しようがないだろう、そう見越して発言したのではないかという気がしてならないのです。

 私がインタビューを通して受けた総体的な万波医師に対する印象は、「この人にはいっさい悪気はないだろう」というものでした。彼は患者さんのことだけを考えて一生懸命治療に当たる、心優しい純朴な医師であって、決して一部に伝えられたような「移植マニア」などではないと思いました。おそらく彼は自分の行った移植手術がどうしてこんなに大きな話題となり、問題視されることになったのか、よく理解できていないのではないでしょうか。「目の前で困っている患者さんを助ける」それが彼にとって医療のすべてなのでしょう。その点だけを見ていれば彼は素晴らしい医師と言えるでしょう。

ただ、日本の移植医療が負の歴史を背負っていることを忘れるわけにはいきません。1968年に行なわれた和田医師による心臓移植手術のおかげで日本の移植医療は20年遅れたと言われています。正式な手続きを踏まず、医師の功名心で行なわれた日本初の心臓移植は、密室医療の恐ろしさを印象付けてしまったのです。この歴史が教える教訓は手続きの透明性が移植医療を前進させるためにいかに重要かというものでした。

 今回の万波氏の病気腎移植騒動は、本人も認めているように手続き的には問題がありました。彼の踏んだ手続きそのものが検証しようのないカタチになっていること自体、大きな問題です。私はだからと言って、今回の一件で日本の移植医療がまた後退してしまうことがあってはならないと思っています。

 現在人工透析患者は25万7700人、その中で腎臓移植を希望している人が1万1800人、ところが腎臓移植の件数は2005年1年間で994件(うち死体腎160件)、アメリカでは年間1万6478件ですから、わずか6%にすぎないのです。臓器移植が進まないのは臓器提供が進まないからであって、だからこそ今回のような病気の腎臓でも使ってという話が出てくることになるのでしょう。

 臓器移植は過渡的な医療かもしれません。やがては再生医療や人工臓器などが中心となってくるでしょう。しかし、まさに今、苦しんでいる目の前の患者さんがいる状況では、先のことは先のこととして、移植医療を普及させるしかありません。腎臓移植は死体腎でもOKですから、脳死移植に比べてはるかにハードルが低い移植のはずです。それすら進んでいない現状をどうやって克服するか、それが今一番大事なことです。

 私は今回の衝撃的な病気腎移植騒動を移植医療進展の契機にしなければいけないと考えています。そのために万波氏にはどんなに風当たりが強かろうと日本移植学会員になって、その中で堂々と病気腎移植の有効性を訴えていただかなければなりません。それとともに今後、臓器提供が激増するためにさまざまな分野から声を上げていき、新たなうねりを作っていくことが必要でしょう。人工透析患者さんの苦しみを誰よりも知っているナースのみなさんこそ、その先頭に立って走ってくチカラを持っているのではないでしょうか。

まずはあなた、ドナーカードを持っていますか?僕はちゃんと持っていますよ。





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