第33回 黒岩裕治の頼むぞ!ナース

黒岩祐治の頼むぞ!ナース

黒岩祐治
ジャーナリスト。国際医療福祉大学大学院教授。早稲田大学大学院公共経営研究科講師。医療福祉総合研究所(スカパー・医療福祉チャンネル774)副社長 <プロフィール>

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▼バックナンバー #1〜#49

 



 

第33回 〜消防官でない救命士とは〜

 今、医師不足、看護師不足が深刻化し、医療崩壊の危機が叫ばれる中、医療関連の国家資格を持っているのに、それを十分に活かすこともできないでいる人たちがいます。潜在看護師などの場合には、なんらかの支援態勢があって本人がその気になれば職場に戻ることは可能です。しかし、法律上の制約により、それが叶わない人たちがいるのです。それが救急救命士です。いったいなぜそういうことになっているのか、どうすればその力を活用できるのか、具体的に考えてみたいと思います。

 今年もまた、福岡にある救急救命士養成の専門学校の入学式に出席し、記念講演会をして来ました。この学校は救命士の国家試験だけではなく、公務員試験のための勉強も同時にできるため、救命士として消防官に採用される学生の割合は、全国トップクラスだそうです。今は、大学の救急救命士学科もありますが、救命士の資格は取れても、消防官採用試験に落ちる学生が結構いるとのことでした。

 ところで、消防の救急の資格を取るためなのに、どうしてこういった民間の養成学校があるか分かりますか?救命士はもともと救急車の中で働くための資格ですから、消防官だけが取れる資格でよかったはずです。しかし、制度が出来上がる時の経緯によって、“消防官でない救命士”が誕生することになったのです。

 実はこの“消防官でない救命士”がせっかくの国家資格を活かせないままになっているのです。彼らのほとんどは全く別の仕事をしているはずです。おそらく今現在、そういう人たちが1万人以上います。なんとももったいない話ではありませんか?

 そもそもなぜ、消防官でない救命士が誕生することになったのか、その経緯を振り返ってみましょう。プレホスピタルケア(病院到着前の医療)の空白を埋めようと、私がフジテレビで救急医療キャンペーンを展開したのは平成元年から2年間のことでした。救急車の所管は自治省消防庁(今は総務省)、医療は厚生省(今の厚生労働省)で、まさに行政の縦割りの中にすっぽりはまってしまっていたのが、“医療なき救急車の問題”でした。

 世論の高まりに押されるように行政も重い腰を上げたのはよかったものの、ふたつの省庁が同じテーマで別々の検討会を立ち上げたのには驚きました。しかもやっかいなことにその二つの検討会は違った内容の報告をまとめてしまったのです。

 消防庁の報告書では高度な応急処置のできる救急隊を“消防の内部資格”として作ることが打ち出されました。救急隊は消防がやっているのだから、消防官に資格を出せばいい、だから消防庁長官が認定する消防の内部資格でいいというのが消防の言い分でした。このまま実現していれば、今頃“消防官でない救命士”を問題視することもなかったでしょう。

 ところが厚生省の報告書では高度な救急隊の資格は「検討に値する」という“意味不明な”内容ではありましたが、万が一、資格を作るなら“医療関連の国家資格”であることは、絶対的な条件と見られていました。新しい資格は看護師の業務範囲を超えて救命の医療処置に踏み込むことが認められる職種なのだから、厚生大臣が認める国家資格にするのは当然だというのが厚生省の考えでした。

 実は報告書のとりまとめに当たって、私も委員から意見を聞かれました。その際、私は国民が納得できる資格にするためには、やはり、厚生省所管の国家資格にするべきだと主張しました。救命士制度に強い反対を表明していた日本医師会や麻酔学会などを抑えるためには、それ以外の選択肢は考えられませんでした。

 それとともに当時は、これまで消防が独占してきた救急車の搬送業務を今後は民間にも開放していくことになるだろうと見られていました。現にセコムなどはアメリカの民間救急医療会社を買収してノウハウを蓄積するなど、着々と準備を開始していました。アメリカのように官民協同で搬送業務にあたることになるのが、患者にとって望ましいカタチであると私も信じていました。

 結局、自民党が両省庁案を合体させて、救急救命士法案の原型を作りました。それはまさに日本型の解決策、足して2で割るというやり方でした、すなわち、救急救命士は高卒2年の専門教育を受けた上で受験できる厚生省所管の国家資格にする、ただし、消防の救急隊として5年以上の実務経験のあるものは半年の専門教育で受験資格を与えることにする、としたのです。このとき、救命士が国家資格になった段階で、“消防でない救命士”が生まれることになったのです。

 ちなみに看護界とも妥協が行なわれました。日本看護協会は救命士制度誕生には賛成していませんでした。新しいコメディカル職種を作り出すよりも、コメディカルの雄である看護職を国はもっと優遇せよということでした。そこで、政府・与党は看護界を抑えるために、看護師には新たな専門教育なしに受験資格を与えることにしたのです。

 このため、第一回目の救急救命士国家試験は滑稽なことになりました。合格者の大半はナースだったのです。消防で6ヶ月の研修を受けた人間の数はそれほど多くなかったので、自動的に受験資格を与えられたナースが多くなったのは当然のことでした。救命士の資格を持ったナースに何ができるのかについては、全く不明でした。そもそも誰も想定していなかった事態でしたから、やむをえないのかもしれません。

「黒岩さんが救急医療にメスを入れて下さったのはよかったが、気がついたら、太刀でばっさりやられていました」当時の木村消防庁長官は私にそう語りました。つまり、消防としては救命士制度ができたのはよかったが、自分たちの消防官に厚生大臣から資格をいただかなければならなくなったというのは、ある種の屈辱だったようです。それとともに、民間に業務を脅かされることになるかもしれないというのは、彼らにとっては恐怖以外のなにものでもありませんでした。

 ここから消防の逆襲が始まりました。消防の救命士は半年コースで養成できますから、民間が参入する余地をなくしてしまおうと、猛烈な勢いで消防官を自前で救命士にしていったのです。結局、セコムも断念せざるをえなくなりました。警備という本来は警察が独占していた業務に民間企業が参入したように、救急搬送業務も同じようにと考えていたのですが、ビジネスとしての旨みがなくなってしまったのです。

 その後、民間搬送業務は患者タクシーとして誕生、定着していきました。救命士の数少ない働き場所にはなっていますが、患者の緊急搬送は官の独占が続くことになりました。セコムの撤退が、“消防官でない救命士”が救急隊として働く道を実質的に閉ざしてしまうことになったのです。

 救急車に乗らなくても、病院の救命救急センターなどで働けばいいじゃないかと思われるかもしれません。しかし、救命士の業務は「医師の指示の下」、「救急車の中」という制約がつけられているのです。つまり、資格上、病院の中では働けないことになっているのです。それは法案作成当時、看護界の反発に配慮した結果でした。救急救命士が救急医療の専門家のような顔をして病院の中に入ってくることによって、ナースの立場が脅かされるのではないかと危惧したからです。

 研修目的ということで病院内で働いている人はいるようですが、厳密に言えば、違法になってしまいます。そこで、私が提言したいと思うのは、救命士は普通に病院の中でも働けるように規制を解除することです。彼らが救命救急センターの中で働くことができるようになれば、ナースは院内で必要とされる看護にそのチカラを振り向けることができるのではないでしょうか?

 気管挿官のできる救命士も増えてきていますので、彼らは麻酔科医と一緒になって、手術室で働くことも可能になるでしょう。麻酔医不足を補う補助スタッフとして期待できるに違いありません。また、院内で働いた救命士が再び、救急車に乗って働くことができれば、救急車の質の向上にもつながるはずです。

 制度を作る時にはいろいろな配慮も必要だったでしょうが、救命士制度ができて17年も経過したわけですから、今の時代のニーズに合わせた制度の修正をしてもいいのではないでしょうか?病院内に救命士を迎え入れるための鍵を握っているのが、実はナースのみなさんだったということをこの際、ぜひ知っておいて欲しいと思うのです。





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