このほど、新著「メッセージ力を高める黒岩の法則」という本を出版しました。出版社は飛鳥新社。先ごろ、98歳の柴田トヨさんの「くじけないで」という詩集が50万部を突破するなど、今、大ベストセラーを出している話題の出版社です。
ここの土井社長は出版物や出版部数を自らの天才的カンで決めるのだそうです。その土井社長が私の本に「この本は売れる!」とお墨付きを下さり、今年後半のイチオシにしてくれました。新聞広告も破格の扱いです。これでコケルわけにはいきません。
私にとっては「救急医療にメス」「ナースたちの朝」に始まって、これで11冊目の本になります。残念ながらこれまで私はベストセラーの体験がないので、今回が最大のチャンスだと思っています。
この本は早稲田大学大学院での私の講義「メッセージ力の研究」が元になって本になったものです。今は同じ講義を国際医療福祉大学大学院でも行なっています。ハーバード大学のマイケル・サンデル教授の講義を元にした「これからの正義の話をしよう」という本が今、ベストセラーになっているので、私も“日本のサンデル”を目指しますと豪語しているところです(笑)
メッセージ力というのは医療の現場でも求められています。そもそも看護とはメッセージ力そのものと言っても過言ではないでしょう。患者が発するメッセージをいかに的確にキャッチすることができるか、それが看護の入り口です。たとえ言葉でなくても、データに表れていなくても、表情や顔色や声のトーンや雰囲気などから、身体の中で起きているほんとうのことをメッセージとして受け止めなくてはなりません。
その上で、それならばどうすればいいのか、患者さんに対してどんなメッセージをどのような言葉や表情で伝えるべきなのか、それが看護を提供するということではありませんか?そこにこそ、看護の専門性が問われてくるのではないでしょうか?言葉の選び方も大事ですが、どういうタイミングで、どんな語り口で話すかも重要です。
メッセージ力の基本は言葉です。私は長年キャスターを務めてきましたが、キャスターにとってもっとも大事なことは言葉へのこだわりです。伝わる言葉もあれば、全く伝わらない言葉もあります。思いとは全く逆に受け止められてしまう言葉もあります。また、ひとつの言葉に徹底的にこだわってみると、そこから新たなイメージが膨らんでくることもあります。
誤解されてしまった言葉は取り返しのつかない事態に発展してしまうこともあります。言霊(ことだま)という言葉があるように、言葉には持って生まれた魂のようなものがあります。それを理解した上で使わないと、自分の思いとは離れて、拡がっていってしまいます。メッセージ力は言葉を正確に選び、使うことなくしてありえません。看護も同じではないでしょうか?
そんな私の言葉へのこだわりを「法則」というカタチにまとめたのがこの本です。看護とはなにか?私はずっと追求してきましたが、「看護とは言葉」とも言えるのではないでしぃうか?ナースの言葉ひとつで患者さんが生きる希望を持つ場合もあれば、傷つき、絶望の淵に突き落とされることだってあります。
優しい、温かい響きの言葉を発するナースもいれば、ぞんざいな物言いを平気でするナースもいます。高齢の患者さんに向かって、「・・チャン」呼ばわりをするナースもよく見かけますが、あれは見苦しいですね。本人は親しみを込めているつもりでしょうが、私には上から目線にしか聴こえません。「・・チャン、お風呂入ろっかぁ~?ご飯にする?」それが人生の先輩に対する物言いでしょうか?
そもそも言葉についてのデリカシーに欠けるナースは適性がないと言われても仕方ありません。患者さんを元気にするのがナースの仕事なのに、言葉によって不快な思いをさせたり、心にダメージを与えたりするのなら、看護にマイナスのことをしていることになるでしょう。私は看護の現場の言葉を、それぞれの現場でもう一度、徹底的に洗い直してもらいたいと思っています。
メッセージ力を高める「黒岩の法則」というのは50カ条あるんですが、実は、看護の現場で学んだことが基本になっているんです。「相手の目で語れ!」「相手の目で見ろ!」という“法則”は、私が取材したナースが教えてくれたものでした。私がプロデュース・キャスターを務めていたドキュメンタリーシリーズ「感動の看護師最前線」の中に次のようなワンシーンがありました。
それはICUで働く3年目のナースが意識のない患者さんに対して、話しかけているシーンでした。彼女は天井にぶら下がったモニター画面の一生懸命に説明していたのでした。「これがあなたの心電図でしょ、これが心拍数…」
私はそのシーンに「意識のない患者さんにも一生懸命語りかけるナース」というナレーションを当てました。しかし、スタジオにいた当時の日本看護協会会長の南裕子さんがこんなコメントをしたのです。
「彼女は3年間でずいぶん成長しましたネ。彼女がどうしてモニター画面を説明していたか、分かりますか?それは彼女が患者さんの目になることができるようになったからです。意識はなくても、患者さんの目の先にあるものはモニター画面です。彼女自身の目はベッドサイドにあって患者さんを外側から見ているんですが、患者さんの目から何が見えるかが想像できているんですね。患者さんは意識がないように見えるけれど、もしかしたら表現ができないだけってこともあります。モニター画面をぼんやり眺めながら、これはなんだろうなって思っているかもしれない。そう思うからこそ、モニターを説明しているんです。これが“看護の目”なのです」
私はハッとしました。ドクターは患者を見ていても、とかく、患部に焦点を当て過ぎる傾向があります。ガンに侵されている患者さん全体ではなく、ガン細胞だけを見ているのではないかと思うことすらあります。そういう中で、ナースが患者の目になってくれるとすれば、患者にとってこんなに心強いことはありません。
「相手の目になる」のが看護の目だとすると、それこそ“人間の優しさ”というのではないでしょうか?相手の目になって話すことはメッセージ力を高めるためにきわめて重要です。自分の目で、自分の勝手な思いだけで語っている人は大勢いますが、それでは聞いている相手には伝わらないでしょう。
私は講演会でも、大学院の講義でも相手の目になって語ることを第一義に考えています。それは意識すればできるようになることだと思います。これはコミュニケーションに携わるすべての人に応用できる秘訣です。繰り返しますが、それが「黒岩の法則」としてまとめた看護の目から私自身が学んだことなのです。
ナース自身にその事実を知って欲しいと私は強く思います。ナース自身が看護の目とはそういうものだということをキチンと認識しているでしょうか?そこから、看護の仕事に対する新たなやりがいも誇りも生まれてくるのではないでしょうか?つい先日も、たまたまナースのぞんざいな物言いを直接、聴いてしまったから、今は特に強くそう感じています。
「メッセージ力を高める黒岩の法則」を現場のナースにもぜひ読んで欲しいですね。それが言葉にこだわり始めるきっかけになるに違いないと私は思うからです。(完)