私は9月30日をもって29年半勤めたフジテレビを退社し、10月1日より国際医療福祉大学大学院教授としての第二の人生をスタートさせました。55歳を迎えるにあたり、自分の人生についてあれこれ考える中で下した決断でした。
私はサラリーマンとしては恵まれすぎるほど恵まれた環境の中で、過ごしてきました。フジテレビの名前があればこそ、会える人がたくさんいて、できる仕事がいっぱいありました。キャスターになれたのも、21年半にわたって続けられたのも、その看板があったからこそのことでした。それはそれでとても有難いことでした。しかし、同時にフジテレビだからこそできない仕事もありました。サラリーマンですから、それはやむをえないことです。
つい先日、NHKで「ザ・コーチ」という番組があり、私の中学高校の恩師、橋本武先生が45分間にわたって取り上げられました。「銀の匙」という岩波文庫の小説を3年かけて読むというユニークな国語教育を50年間にわたって続け、結果的に灘高を東大合格者一位にした伝説の国語教師として、描かれていました。
これは私が書いた「恩師の条件」(リヨン社)がきっかけとなって番組になったものでした。本を読んだNHKのプロデューサーが私の元へやってこられ、私へのインタビューを軸に番組を構成したいと話してくれました。しかし、フジテレビ社員の私にはNHKの番組に出演することが許されませんでした。そのことが、最終的に私の背中を押すことになりました。
フジテレビを辞めるという話をしたところ、即座に国際医療福祉大学大学院から教授就任の提案いただきました。もともと7年前から客員教授をやってきたため、私の中では最も自然なカタチでの転身になることから、有難くそのご提案を受け入れることにしました。
それと同時に同じグループにある医療福祉チャンネル774(スカパー)を経営する(株)医療福祉総合研究所の副社長にも就任することになりました。このチャンネルでは6年前から「黒岩祐治のメディカルリポート」を企画・制作してきました。私の眼から見て、このチャンネルにはもっと可能性があるはずと思えたので、あえて副社長を引き受けた次第です。
もともとはフジテレビ社員を辞めてフリーになるということだったのですが、結果的にはテレビを辞めて医療の世界に転身したように受け止められたかもしれません。もちろん医療を変えるために具体的なアクションを起こしていきたいというのは、間違いありませんが、何もテレビを引退したつもりは全くありません。私が今、新しく肩書として表示しているのは、まずは「ジャーナリスト」であって、その次が「国際医療福祉大学大学院教授」です。
「大学院教授として何を教えるのか?」とよく聞かれます。実は早稲田大学大学院公共経営研究科でも毎週1コマの講義を受け持っています。これは「テレビにおけるメッセージ力研究」というタイトルにしています。政治にとって最も重要なことがメッセージ力だとの私の思いから、テレビを通じて見える政治家のメッセージ力を分析しています。それとともに、院生自らのメッセージ力も磨ける場にしようとしています。
国際医療福祉大学大学院では私は医療福祉ジャーナリズム分野に属していることから、院生のみなさんに映像ジャーナリズムを体験してもらうという講義をしています。番組の企画を募集し、それをいかに番組に仕上げていくか、そのプロセスを指導しています。意欲のある院生には、自らテレビカメラを回し、リポートやインタビューも自分で行い、編集作業までやっていただき、実際に「黒岩祐治のメディカルリポート」の中で放送するのです。
ジャーナリズムを目指しているわけでない院生にとっても、自分の企画を番組にしてみようとしてみると、いろいろなことを学ぶことになります。頭の中でぼんやりと問題意識を持っていたはずのテーマでも、自分がいったい何をどのように捉えていてどう伝えようとしているのかが分からなくなってしまうこともしばしばです。
先日も院生の神保康子さんの企画を収録しました。彼女はインドネシアから来た看護師たちを成田空港で出迎えてから1年にわたって追いかけてきました。八王子の永生病院で働きながら日本語を勉強し、国家資格取得を目指す二人を継続して取材、さらに自らインドネシアにまで行き、現地の看護の現状まで取材してきました。
ビデオカメラの廻し方、インタビューの仕方、リポートのやり方すべてを一から学んでの取材で、まさに戸惑うことばかりの連続だったようですが、結果的にはとても立派な 作品に仕上がりました。スタジオでも報告者として出演し、堂々と取材で感じた実感を話してくれました。
ただ、素人がいきなり番組を作るなどということは本来はできるはずもありません。特に1年もの長期取材にもなりますと、撮影したVTRの量も膨大なものとなり、どう構成して編集すればいいか、大混乱に陥ってしまうものです。神保さんも「要するに何を伝えたいのか」という根本のところが分からなくなってしまいました。
すでにさまざまなテレビ番組で放送されてしまったこともあり、新しい切り口を探すことは容易なことではありません。二国間の経済協定で自動車の関税引き下げと交換条件のようなカタチでやってきた彼らを待ち受けていたのは、3年以内に看護国家試験を日本語で合格しなければならないという絶望的に困難な道でした。日本語の壁にあえぐ彼らの姿を描くだけでは、新しさはありません。
「要するに何を伝えたいのか?」というのは実はとても厳しい質問です。これは私がメッセージ力といっているものとつながるイメージです。最も大事なことでありながら、最も忘れてしまいがちな本質的な内容です。神保さんも私の質問に対して、あれやこれやと言葉を尽くして語りました。しかし、たくさん語らなければならないということ自体、整理がついていない証拠です。
結局、彼らの今に徹底的にこだわるようにアドバイスをしました。来日してちょうど1年経って、今、彼らは何を思うのかという一点を見つめれば、おのずと見えてくるものがあるはずです。しかもそれは他の番組と明らかに一線を画することができるはずです。要するに彼らは日本に残って働こうと思っているのか、それとも母国に帰ってこの体験を活かそうと思っているのか、その思いこそ番組が伝えようとするものではないかということで、やっと方針が決まりました。
その視点で見ると、彼らの中ではすでに母国の方を向いている人も少なくないようでした。本格的な移民政策がない中で、中途半端なカタチで日本に来ることなった彼らは、国の被害者と言えるかもしれません。日本に対するあこがれの感情を抱いてきたはずなのに、自分たちは看護師としての専門性を活かすことは許されず、スキルダウンさえ心配するありさまです。
しかし、そうなってしまった以上、残された2年間で私たちができることもあるはずです。無策のままに放置していると彼らが反日感情を抱いて、帰国することにもなりかねません。場合によっては3年と限られた滞在期限の延長も含め、検討することも必要でしょうし、帰国後のための準備に重点を置くこともできるかもしれません。あくまでこれまでは日本の看護国家試験に合格するかどうかだけで論じてきた議論とは違ったステージ作りはできたのではなかったでしょうか。
企画の方針が決まってからは、プロのディレクターが編集作業につきっきりでフォローしました。その力に負うことが大きかったとは思いますが、結果的には素晴らしい作品に仕上がりました。(11月14日より医療福祉チャンネル774にて放送します)http://www.iryoufukushi.com/
この神保さんの作品が、私の大学院教授としての最初の仕事にもなりました。今後はテレビ局や新聞社に就職したいという人たちにも院生として来てほしいと思っています。この就職難の時代ですから、大学院で医療福祉ジャーナリズムを実践的に勉強してきたというのは即戦力としてのアピールにもなるはずです。
大学院で学んだ院生がそのまま医療福祉チャンネルのディレクターにもなってくれるとこんなにうれしいことはありません。フジテレビを辞めたばかりではありますが、新しい仕事の可能性をいろいろと感じている次第です。(以上)